顕本法華宗 総本山妙満寺
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「安珍・清姫」の鐘由来

 紀州道成寺が文武天皇妃・宮子姫の奏上により、大宝元年(七〇一年)に建立されてから二百三十年余りが経ったときのことです。

 醍醐天皇の延長六年(九二八年)八月、奥州白河(福島県白河市)の「安珍」という修験者が熊野へ参詣する途中、紀州室の郡・真砂の庄司清次の館に一宿を求めました。そのとき、庄司の娘「清姫」が安珍に思いをよせて言い寄りました。安珍は「熊野参詣を済ませたら、もう一度立ち寄る」と約束しましたが、その約束を破り立寄らずに帰途に就いてしまいました。

 そのことを知った清姫は激怒して安珍の後を追いかけます。日高川にかかると清姫は蛇身となり、もの凄い形相で川を渡り、ついに道成寺の釣鐘に隠れた安珍を見つけます。清姫は、鐘をきりきりと巻くと、炎を吐き、三刻(約四〇分)あまりで鐘を真赤に焼き、安珍が黒焦となって死ぬのを見て、自らも日高川に身を投じてしまいました。

 この後、正平十四年(一三五九年)三月十一日、源万寿丸の寄進で道成寺に二度目の鐘が完成した祝儀の席でのこと。一人の白拍子が現れ、舞いつつ鐘に近づきました。すると、白拍子は蛇身に身を変え、鐘を引きずり降ろすと、その中に姿を消しました。僧達は「これぞ清姫の怨霊なり」と一心に祈念して、ようやく鐘は上がったのですが、せっかくの鐘も宿習の怨念のためか音が悪く、また近隣に悪病災厄などが相次いで起こったため山林に捨て去られました。

 この話が後年脚色され、長唄、舞踊、能楽など、芸能界最高の舞曲である「娘道成寺」となりました。

 その後、二百年余りを経た天正年間、秀吉の根来攻め(一五八五年)の時、家来の仙石権兵衛がこの鐘を拾って陣鐘(合戦の時に合図に使う鐘)として使い、そのまま京都に持ち帰りました。そして、安珍・清姫の怨念解脱のため、経力第一の法華経を頼って妙満寺に鐘を納めました。

 この鐘は何度か出開帳されていますが、現在でもこの妙満寺に安置されております。また、道成寺を演じる芸能関係の方々は、妙満寺に参詣してこの鐘に舞台の無事を祈ったそうで、かつては市川雷蔵、若尾文子などが訪れたほか、現在も芸道成就を願う多方面の芸能関係者がお参りに訪れます。



総本山妙満寺 〒606-0015 京都市左京区岩倉幡枝町91 TEL 075-791-7171 FAX 075-791-7267

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