妙満寺に伝わる枯山水「雪の庭」を造営した松永貞徳(1571-1654)は、江戸時代初期に活躍された俳人です。和歌を細川幽斎、連歌を里村紹巴に学び、和歌や連歌の入門段階として俳諧の確立に尽力され、その後の俳諧(俳句)流行の第一人者となりました。
時の妙満寺塔頭 成就院住職・日恕上人が貞徳の門下であったこともあり、寛永6年(1629)11月の末、松永貞徳の門下・山本西武が「雪の会」と称する俳諧の席を妙満寺で催しました。
このときの式法が後の句会の基本となったとされており、妙満寺は句会発祥の地であるといえます。
枯山水「雪の庭」は、清水寺成就院「月の庭」・北野の成就院「花の庭」とともに成就院 雪月花の三名園と呼ばれています。これに倣い妙満寺ではそれぞれの季節において、句会「雪の会」「月の会」「花の会」を開催しています。